はじめに
この拙い紀行文を書くにあたり、スペイン・ロマネスク・アカデミーの勝峰先生と会の皆さんに心からお礼申しあげます。
1回目は残念ながら聞けなかったけれど、5回のロマネスク講座を通じて学んだこと、何も知識のなかった私たちが、色鮮やかで、どこか土の香りのする、聖書の世界に出会えたことは、この上ない私の宝になりました。
今回の旅行では、不思議な体験もしました。
信仰のない私が、神に導かれたような気持ちに囚われたことが何度かありました。
そして、800年もの間、イスラムに占領され、イスラムと交わりながら、独特のキリスト教文化を
作り上げた人々の心に触れる旅でもありました。
初めて訪れたロマネスクの教会は4年前(そのときもサッカーのワールドカップの真最中!)
暑い日ざしをさえぎる様に、森深くに建つ、仏プロバンスのル・トロネの修道院でした。
教会の中の小さな礼拝堂で、ろうそくの明かりの元で祈り続ける男性の姿が印象的でした。
それから、毎年、夫と二人でロマネスクを訪ねる旅が始まりました。
フランスやイタリアの教会は情報が多く、ネットで検索するのがひそかな楽しみになりました。
そんな時、私の目の前に現れたのが、強烈な異彩を放つタウイのサン・クリメン教会のキリストでした。
今まで見たことがない、色鮮やかなキリスト。
どんな人が描いたのだろう。
今度はスペインに行って、あのタウイのキリストに会ってこよう。
カタルーニャの旅の始まり
今回の旅も昨年同様、南仏のトゥールーズからはじめました。
サン・セルナン教会はサンチャゴの巡礼寺でもあり、また、オーギュスタン美術館に展示されている、柱頭のサロメにもう一度会いたかったから。
旧友のように、また会えて嬉しかった。
初めてのスペイン。そして不思議な世界に。
トゥールーズ空港でレンタカーを借りて出発。アラゴンへ。
オロロン・サントマリーを過ぎるころから上り坂になり、残雪のピレネーが見えてきます。
思わず声を上げるも、長いトンネルをぬけると、あっけなくスペインでした。
時折、巡礼者も歩いている、夢に見た、かの地です。
スペインに入って初めて見学したのが、ハカのサン・ペドロ大聖堂です。
残念ながら司教美術館は13時で閉館のため入館できず。
それにしても、大きな三廊式の教会です。
講座で学んだ、ハカの工匠のタンパンのクリスモン。キリストを表すXとPが美しい。
緻密な図柄で、絵の意味を真に理解するのは私には困難ですが、翌日訪ねたサンタ・クルス村の教会のタンパンも同じ様なデザインです。
こちらはだいぶ単純化されていて、Aとωの位置も異なり、帰国して写真を比較すると面白い。
軒もち送りも不思議な動物。誰がこのような生き物を考えたのでしょうか。
キャラクターとして、現在でも通用しそうです。
翌日(6/23)はサン・ファン・デ・ラ・ペーニャ修道院に。
途中で見た、ごつごつした、うねるような山ひだは、日本の山では見ることの出来ない姿です
行く前に、何度も何度も写真を見て、想像を膨らませていた、岩山の中の修道院。
1000年もの昔、イスラムに追い詰められたキリスト教信者が避難し、やがて隠修者の修行の場になり、1025年にサンチョ大王からクリュニー会に奉献されたという歴史を持つ洗礼者ヨハネの修道院です。
見学はガイドツアーのみのようで、私たちはスペイン語がわからないので、勝手気ままに見ていました。ガイドの人も私たちに関しては、別扱い、放置状態です。
そのとき、モサラベという言葉が聞こえました。講座で覚えた馬蹄形のアーチです!
恥ずかしながら私たちが唯一理解できた、単語でした。
個人旅行では言葉の壁は厚く、いつも身にしみます。
「貴族の霊廟」で、またクリスモンを発見。「聖杯」もどきも後陣に飾られていました。
岩が覆いかぶさるところに、岩に守られるように、ロマネスクの回廊がありました。
この回廊が見たくて、そして、困った様な顔をした「神に詰問される」アダムに会いたくて、
ハカより、うねうねした森の中の道を上がってきたのです。
アーモンドの目をした、ふっくらした顔の、哲学者にも見えるモサラベの柱頭です。
隣に寄り添っていたエバは残念ながら破壊されて、今は見ることができません。
ほかにも有名な「ヨセフのお告げ」や「受胎告知」、「最後の晩餐」など見て回りました。
トルラへの道もロマネスクらしい教会をいくつも遠望しながらの道でした。
美しいピレネーを背景にした、絵画のような山中で一泊しました。
カタルーニャ、ボイ谷へ。
翌日(6/24)アインサまでの道、普通はN260を通るのが一般ですが、私たちは景色が良い
というHU631を走りました。
断崖を縫って、緑の少ない、ごつごつした茶色い山並みの展望を楽しみながらの道です。
もっとも、運転する夫は大変そうでしたが。
アインサでは12世紀に作られたサンタ・マリア教会を訪ねました。
単身廊の小さな御堂と地下にクリプトがありました。単純な何も飾りのない教会ですが、それがかえって神聖に思いました。規則正しく積み上げた円蓋が美しい。
後に訪ねるフロンタニヤの教会でも同じように感じたものです。
アインサで摂ったランチは延々3時間の長いもので、その日の宿泊地のタウイまでの道のりを考えると、冷や汗ものでしたが、この旅行中で一番楽しい食事となりました。
車酔いする私を気遣い、夫の勧めにより酔い止めを飲んだため、タウイへの道は記憶にありません。ずーっと夢の中です。ただ、一度だけ夫に起こされて見た景色は両側が切り立った深い岩壁に囲まれた厳しい自然でした。
雨も降ってきて、ようやく着いたタウイは、霧の中にありました。
サン・クリメン教会も霞んで、幻を見ているようです。
宿のチェックインを済ませると、もうひとつの教会、サンタ・マリア教会を訪ねました。
午後6時を過ぎ、雨で薄暗い道を歩いて入った教会の中には誰もおらず、
後陣と身廊には絵巻物のような、色鮮やかな世界が繰り広げられていました。
ここに描かれているのは複製だと頭ではわかっていても、
声もなく立ちすくんでいる自分がいました。
翌朝(6/25)宿の女主人に教わって、サン・キルク礼拝堂を訪ねました。
タウイよりさらに5分ほど車で上った、草原の中にポツリと建っています。
まだ 昨晩の霧が取れず、どんよりとした灰色の雲が谷から湧き上がってきて、
なんとも不思議な、神聖な感じがします。
不規則な石を積み上げた、単身廊、後陣ひとつのかわいらしい教会でした。
タウイに戻り、念願のサン・クリメン教会です。
この日のために、いくつもの本を読み、話を聞き、ネットで見てきました。
ボイ谷の9つの教会は世界遺産になっていますが、この小さな教会群の中でもサン・クリメン教会は別格です。
ロンバルディア装飾のある特徴的な鐘塔は、3年前の伊トスカーナ旅行のとき、ルッカで見たのとよく似ています。
よく、こんな小さな村々の教会の壁画の価値を見出し、そして壁ごとはがして保存するという英断?を下したものだと思います。スペインの発想に脱帽です。
教会に入ったとたん、びっくりしました。
あの、「壮厳のキリスト」がいないのです。オリジナルはバルセロナのカタルーニャ美術館ですが、読み聞きしたのでは、複製が描かれているはずでした。後陣は痛々しく剥がされた状態になっていました。
帰ろうとする私たちに、受付の女性が、あと10分でビデオを放映するので、時間があるなら見てね、と言ってくれました。(英語です)
4人で見たビデオは、剥がされた後陣に映されされました。
それは、幾人もの科学者が、微量に残っている絵の色素を分析し、12世紀に描かれた絵を復元した記録でした。
発見された20世紀のキリスト、そして800年前に描かれたときのあでやかなキリスト、どちらも美しい。複製を消した教会には、賛否があるかもしれませんが、これもまた、ひとつの選択だと思います。本物には、カタルーニャ美術館に行けば会えるのですから。
そして、いつの日か、キリストが美術館から里帰りできたら、素晴らしいと思います。
私たちは他の教会を巡りながらボイ谷を下り、ドゥーロのサン・キルクの庵を訪ねました。
庵までは車一台が通れるだけの細い急坂の登りです。
さすがの夫も、こんな道を、とブツブツ言っていましたが、突然景色が広がり、展望台に着きました。ドゥーロの村を見下ろすように、庵は建っていました。
それは本当に小さな庵でした。かわいらしい鐘楼に鐘が二つ並んで付いていました。
お祭りがあったのか、枝をピラミッド状に組んだものを焼いた名残がありました。
さらに谷を下り、コルの聖母被昇天聖堂に行く途中で、私たちは、ボイ谷を上っていく沢山の羊の群れに会いました。
その時に、なぜか群れの中にキリストを見たような気がしました。今でもなぜそう思ったのか不思議に思います。私は、クリスチャンではないのですから。
花のアラン谷へ
私たちはボイ谷と別れ、アラン谷に向かいました。
ピレネーを越えてスペインに入ったときのように、長いトンネルを抜けるとアラン谷です。
本日の宿はアルティエスのパラドールですが、その前にフランスの国境近くのボソスの「清めの聖母教会」を訪ねました。いかにも冷たそうな、ピレネーの雪解け水が流れる川沿いの町です。ここのタンパンはユーモラスです。
真ん中のキリストは左手に細長い巻物?のような物を持ち、右手は祝福している。
四隅の象徴の姿をした四福音書家も巻物を持っています。キリストの目はアーモンドの形をしていますが、顔は東南アジアのお面のようです。
この教会もロンバルデイア帯をもっています。
教会は三廊式、三つの後陣を持ち、内陣上部に三つの明り取りがついていて、
柔らかな光が差し込み美しい。太い石積みの柱がどっしり支えています。
疲れて、早くパラドールに行きたがっている夫に頼み込んで、本日最後の教会、エスクニャウの聖ペレ教会を訪ねました。
ここのタンパンも不思議です。顔が大きくて体が細い、バランスを欠いた、パンツ姿?のキリストが見られます。アーキヴォルトには不気味な人面が彫られています。
教会の扉は閉まっていて、内部は見られませんでした。
ちょっと休息。山と牛とお花畑
翌日(6/26)パラドールのフロントで教えてもらったピレネーの山麓のハイキングコース
を歩きました。
フロントの男性との会話。
私”牛はいる?” フロント”many many” 私”馬もいる?” フロント”many many”
残雪を抱く大きなピレネーを見ながら牧歌的な道を歩く、時に牛軍団に道を塞がれながら、咲き始めた花々を楽しみながら歩く、何と至福な時だったでしょうか。
廃村に残された、きれいな教会(ロマネスクではない)が川のほとりにあり、ここから来た道を戻りました。ちなみに牛はmany many many manyでした。
ハイキングからの帰りに、サラルドゥの聖アンドレウ教会を訪ねました。
12~13世紀に作られた後期ロマネスクの教会です。
雨が降り出し、暗くなってきました。
扉が開いていたので入りましたが、薄暗く良く見えません。
ひょっとしたら1ユーロコインを入れると明かりがついたのかも知れませんが、どこにあるのか気がつきませんでした。
内陣に年輪を感じさせる木造のキリストの像 が吊ってあります。
キリストの足元にずいぶんふけた顔のアダムが描かれています。
サラルドゥの近くにウニャの村があります。 アラン谷のロマネスクマップはここの聖エウラリア教会のキリストの絵が表紙になっています。野太い輪郭の印象的な顔で、ロマネスクの教会の前にある看板にもこの絵が描かれています。
雨が強くなってきましたが、ぜひ見たいと思い訪ねました。
三つの後陣にロンバルディア帯を持つどっしりした外観です。扉は閉まっていて、中を見ることは叶いませんでした。
疲れて入った近くの食堂で教会の話をしたところ、隣で食事をしている家族が教会の鍵を持っている人を知っているとの事、電話をかけてくれました。
期待しましたが、サラルドゥのインフォメーションを通さないとダメとのことで、残念ながら見れませんでした。次回の楽しみに、と思うことにしました。
イシル谷に
翌日(6/27)晴れ渡ったボナイグア峠でピレネーの大俯瞰に歓声を上げました。
雄大な山々に見とれていると、通りがかったトラックの運転手も一時停止して”写メ”です。
私たちはイシル谷を遡ることにしました。
緑の豊かな渓流沿いの細い道を10Kmほど上っていくと、イシル村です。
その川べりに、墓地を前面にもつサン・ジョアン・ディシル教会があります。
ネットで調べると、起源は西ゴート時代にさかのぼるようですが、詳細はわからないようです。
川の流れと教会が溶け合って、不思議な、霊的な静寂感に包まれています。
独特なロンバルディア帯の中間に寄り添った男女の姿が二つ描かれています。
他の方のブログによるとアダムとイブらしい。アーキヴォルトに人面と動物が彫られていました。
今回の旅で、印象に残る教会のひとつになりました。
さらに谷を遡るとアロス・ディシルの教会があります。
教会は塀に囲まれ、中に入れずに塀越しにのぞいていたら、近くで道路工事をしている男性が笑いながら扉を開けてくれました。
異国の人間が、こんな奥深い田舎でウロウロしていたら不審者に見られそうですが、思いがけない親切には、ほろりとします。
教会は南北に建てられ、南側に入り口があります。
サン・ジョアン・ディシル教会に似て、男女(アダムとイブ)のレリーフが二つ、アーキヴォルトに不細工な長い髪の女性、口に手を突っ込んでいる人、頭に手を乗せる人と動物が彫られています。
それらが、どのような意味を持つのか、過去に戻り聞いてみたいと思います。
ラ・セウ・ドゥルジェイにて
私たちは野山を越え、ソルトの町を過ぎ、崖の道を上り、また下り、ラ・セウ・ドゥルジェイにたどり着きました。
ここには大きなカテドラルと美しい回廊があるのですが、私が一番楽しみにしていたのは司教区美術館にあるモサラベのベアトゥス写本です。
ロマネスク講座の最後の回はこの写本についてでした。
三層の鮮やかな色の中に描かれた、隈取りした人物や動物の絵に思わず引き込まれ、イスラムとの融合がかもし出す世界に魅了されました。
夢中で見た絵は、長い年月を経てもなお美しい色彩を留め、アーモンドの目を持つ人間や
不思議な動物は10世紀も昔に描かれたとは思えないほど斬新でした。
嬉しかったのは、日本語の字幕のビデオが放映されたことです。
夫と二人だけで、大きな画面に流された写本の世界を食い入るように見ました。
180度のターンを繰り返しながら細い道を上り詰めたベスカランで一晩を過ごしました。
ソルソナ司教区美術館であのオランテに!
翌日(6/28)に訪ねたのはソルソナ司教区美術館です。
旅も一週間を過ぎると疲れがたまり、運転する夫には申し訳ないけれど車中で居眠りすることが
多くなりました。
乾燥した茶色の岩山はフランスやイタリアの牧草地を縫うドライブとはかなり異なるものです。
ソルソナ司教区美術館で楽しみにしていたのは、オランテ「祈る人」を見ることでした。
本では子供の落書きのように見えたこの壁画は、実際に見ると神秘と霊力とを秘めているように感じられました。目で見て脳裏で感じることが、いかに大切なことか。
他に展示してある、沢山の色づけされた聖母子像も独特です。
土臭く、決して美人とは言えないけれど、何か不思議な世界観があります。
そしてマッスのカルドナに
オリウスの聖エスティバン教会で重厚なクリプトを見た後、カルドナに行きました。
ここに併設されているパラドールは本日の宿でもあります。
城内のインフォメーションで拝観料を払うと、一人しかいない係員が教会まで鍵を持って同行し、扉を開けてくれました。
重量感と厚みのある、講座でも取り上げられた簡素で石の塊のような大きな教会です。
その重みに圧倒されて、しばらく立ち止まって眺めていました。
天蓋に開けられた、小さな4つの四角と少し大きい丸い明かり取りからさす光が、暗闇のなかで神秘的な雰囲気をかもし出しています。
1000年近く昔から、この祈りの場で、この光を見つめて皆、神を見たのではないでしょうか。
表に出ると、鍵を閉めるために先ほどの係員が待っていました。
この日は週末のためか、教会で結婚式があったようです。
パラドールのホールで花嫁花婿を交えて、大勢の人が楽しそうにダンスを踊っていました。
カメラを向けると花嫁さんが出てきて、片手にお酒、もう片手にタバコを持ちポーズをとってくれました。現代的な花嫁と古い教会のアンバランスが面白い。
その夜、初めて天蓋つきのベッドで眠りにつきました。
翌日(6/29)は駆け足の教会巡りです
レスタニのサンタ・マリア修道院を訪ねるのは、当初から楽しみにしていた一つでした。
出発前にホームページを見たら、月曜日は多くの教会が閉まることがわかりました。
そのため、30日に訪ねる予定の教会が繰り上がり、この日は忙しい一日になりました。
レスタニに着いたのは午前10時前。教会は日曜のミサの準備をしていました。
三々五々、老人たちが家族に付き添われ集まって来ました。
私たちは教会の隣の回廊を見ることにしました。
この美しい回廊には、緻密で繊細な柱頭が沢山残されています。
一つ一つ見ていると、教会から賛美歌が聞こえてきました。静かな回廊にいて、なんとも至福なひと時でした。
柱頭は聖書の一こまを描いたもの、世俗のもの、そして鳥や抽象化されたものと様々です。天使と悪魔が人間の魂を秤にかけているシーンが面白い。
私が見たかったのは、キリストがヨルダン川で洗礼を受けている柱頭で、波の模様がとても美しく、キリストの頭上に祝福する小さな鳩が見えます。
ミサが終わった頃に私たちも教会を後にしました。
もう少し堪能したかった、いつかまた訪れる日が来たら時間をかけて見て回りたいと思います。
フロンタニヤ“サン・ジャウメ”教会
フロンタニヤはレスタニから40Km北上したところにある、人口30人以下の村です。
池田健二先生の本で「なにもないのにすべてある」と書かれている教会があります。
その言葉に惹かれて、今回訪ねるのを楽しみにしてきました。
教会に着くと大勢の団体観光客でにぎわっていますが、リーダーらしき人に、10分後に鍵をしめて出るから、と言われました。
鍵は近くのレストランが預かっているとのことです。
私たちは、教えてもらったレストランで遅めの昼食を摂り、教会の鍵を借りました。
恐る恐る鍵を挿すと扉が開きました。そこは、まがいなく”神の家”でした。
深閑とした教会の中、分厚い壁に覆われ、宇宙を見ているような天蓋の下にいると、居るだけで心が崇高になっていくようでした。
確かに「何もないのにすべてある」の言葉通りでした。
信仰がない私が、神を感じたのは、初めてのことでした。
10分到着が遅かったら、鍵の場所がわからず、中に入ることは出来なかったはずです。
偶然とはいえ、不思議な気持ちをそれからしばらく持ち続けました。
リポイのサンタ・マリア修道院
雲ゆきが少し悪くなってきたので、リポイまで急いで行くことにしました。
サンタ・マリア修道院は初代バルセロナ伯のギフレが879年に作った修道院です。
当時、修道院は学術、文化の中心で、そのファサードは”石の聖書”と呼ばれ、様々な旧約聖書の出来事や農民の労働の暦が浮き彫りにされています。
ファサードは傷みがひどく、保護のためガラスで覆われています。
ガイドブックで照らし合わせながら浮き彫りを確認していきました。
作られた時は彩色されていたようで、どれほど美しく目を奪うものであったでしょうか。
旧約聖書は知識不足で余り理解できないのが残念でしたが、十二ヵ月の生活を描いたものは面白く、ゆっくり眺め回廊にいきました。
人気のない回廊では数々の柱頭に目を奪われましたが、バケツをひっくり返したような激しい雷雨になり、二階の回廊から、初めてカーゴイルから流れる雨を見ました。
夫は大喜びです。が、激しい雷と共に館内は停電になり真っ暗になりました。
この回廊で初めてみた人魚の柱頭は忘れられません。
その日はビック近郊の、美しい庭園をもつ、暖かいもてなしのホテルにとまりました。
夜、もがいても、もがいても逃げられない、恐ろしい夢にうなされ、目が覚めました。
古い教会を見すぎたせいでしょうか。
モンセラットに
翌日(6/30)は月曜のため、ビックの司教区美術館は休館、モンセラまで直行することにしました。だんだんに特徴的な、のこぎりの形をした山並みが大きくなってきます。修道院は山の中腹に奇岩に囲まれて建っています。
駐車場から修道院の間には産直の売店が並び、ひやかしながら歩いて楽しい道です。
今までほとんど人気のない所を旅してきたので、沢山の観光バスや人の波にもまれ別世界にいるようです。
天気が良いので、サン・ジュアン行きのケーブルカーに乗り、庵までハイキングをしました。
ミニスカートやサンダル、短パン姿の人たちと奇岩をよじ登り、360度の眺めを楽しみました。
このカタルーニャの聖地は何度も侵略を受け、破壊と再建を繰り返してきました。
修道院は近代的ですが、災難のたびに避難して難をのがれてきた12世紀の黒い聖母子像が教会の祭壇の上に祭られています。
私たちは夕方人が少なくなった頃、このマリア像をお参りにいきました。
像はガラスで保護されていますが、片手に持つ珠のところがくりぬかれ触ることが出来ます。
この像を見る観光客で、昼間は長蛇の列が続いていました。
マリア様は端正で気品のある洗練された顔をしていますが、苦難の道を歩んできたためか、厳しさと翳りも併せて持っているように感じられました。今まで見てきた、着色された聖母子像とは容姿も顔立ちもかなり雰囲気が異なり、異国の像のようにも見えました。
この日は修道院横のホテルに泊まりました。
翌朝(7/1)、山がほとんど霧に覆われて、昨日とは一変して幻想的になりました
夫はまだ寝ていたので、一人で朝のミサに出かけました。
ミサは大勢の司祭がマリア像の下に並び厳粛に行なわれましたが、ミサの間じゅう
貧乏ゆすりをしている司祭がいたのが印象的でした。司祭も人間なのですね。
バルセロナに行く途中にサン・クガ・ダル・バジェス修道院を訪ねました。
工事中で少し雑然としていましたが、美しい回廊と緻密な柱頭を見て回りました。
ここのホールで見たビデオは柱頭彫刻の作り方と復元を描いたもので、今まで訪ねてきた多くの彫刻が思い浮かばれて、興味深いものでした。
残念ながら、教会の内部は工事で見学できませんでした。
バルセロナに来て車の渋滞や一方通行に苦労し、大都会を実感しました。
一番行きたかったモンジュイックの丘のカタルーニャ美術館には7/2の午後に出かけました。
あのサン・クリメン教会のキリストに会えるのです。胸が高鳴り、ドキドキします。
ロマネスクの展示室に直行、めくるめる壁画の世界が始まります。
訪ねてきたいくつもの教会のうち、ドゥーロのあの小さなサン・キルクの庵に飾られてい祭壇板絵が展示されていました。有名な「聖キルクとジュリエッタの殉教」です。
絵は4つに区切られて、色鮮やかな独特な色彩で、母子が経験した残酷な刑が現代風に言えば、漫画のひとこまのように描かれています。
けれど、中央のマンドラの中の子供を抱いた母に、意思の強さと、同時に子を想う気高さと悲しみを感じました。赤は流された血の色だと思いました。
800年を経ても、なお心を打つ絵でした。
教会と同じ形のアプスが作られ、壁画が展示されています。
それぞれの壁画は美術館でありながら、教会に居るような気持ちで見ることが出来ます。
そして、待ち望んだサン・クリメン教会の「壮厳のキリスト」の壁画がありました。
ああ、やっとめぐり会えた、あの空白の後陣が初めて私の中で完成しました。
大きな目で見下ろしているキリストは、何もかも見えているようです。
あちこちに描かれている沢山の目、目、目。
姿は見えなくても、どこかで見ている目があります。
タウイのサンタ・マリア教会の壁画もありました。
一週間前に訪ねたときを思い起こしながら佇みました。
暗がりの道を歩いて行き、教会に入ったとき別世界のように明るくきらびやかに輝いているように思えたこと、オリジナルは少し落ち着いた色に感じられましたが、マンドラの中でキリストを抱いたマリアはやはり包み込むように優しい顔をしていました。
面白い彫刻を見つけました。帽子をかぶった男性の口から羊が出ています。
何を意味するのかわかりませんが、リポイのサンタ・マリア修道院のものです。
夫が楽しそうにいじっているのは、ファサードのあの”石の聖書”の3Dビデオです。
タッチパネルで拡大したり、回転させたりして彫刻を楽しむことが出来ます。
あっという間に3時間が過ぎてしまいました。
翌日はサクラダファミリア教会を訪ねました。ホテルで観光名所をたずねると、やはり一番は“サクラダファミリア”と自慢げに返ってきます。
ごった返す教会で感じたのは、モンセラの奇岩やマリア像の面影でした。
ガウディーもカタルーニャの人なのだと強く感じました。
私たちの旅も終盤になりました。バルセロナを出て高速でジローナの大聖堂をみた後、国境を越えてフランスに行きます。
ジローナのカテドラルで楽しみにしていたのは、ベアトゥス写本と“天地創造のタピストリー”です。カテドラルの入り口脇にある宝物館は、ガイドがあれば何倍も楽しめそうな物に溢れていましたが、知識の乏しい私たちはボーッと見て回るだけでした。
写本の開かれたページはキリストが天使を携えて地上に降りる絵でした。
ラ・セウ・ドゥルジェイより早く描かれた絵のせいか、色彩は落ち着いて空間が多いのですが、たしかにモサラベの絵でした。
一番奥の部屋の奥に修復の終わったタピストリーが飾られていました。
900年の時を越えているとは思えないほどユーモラスな生き物や人物が刺繍されていました。
中心の円の中にいるキリストは聖書を携え、その周りにアダムとイブや動物や天使など旧約聖書の世界が描かれて、一つの宇宙をみているようです。
いつまでも見ていたい、この世界に浸りたいと思いました。
700年後半だったと思いますが、壁に飾られた一対の羊皮紙に書かれた文書を見ている時、バタンと音がして目の前の分厚い木の扉が突然開きました。
今まで1000年近い神の世界を見てきた私には、何かの啓示にも思えた出来事でした。
聖堂の回廊は四隅の柱にパネルのような彫刻が描かれていますが、その一枚は石工の仕事がちゃっかり描かれていて、思わずふきだしました。
一般道を丘のようになったピレネー山脈の端を越えるとフランス国境です。
旗もカタルーニャからフランスのトリコロールに変わります。
私たちは、画家たちが愛したコリウールの、海の見える宿に泊まりました。
宿のご主人は“一泊だけ?”と不思議そうです。ここはバカンスの地なのです。
部屋からは大きなテラスに出られ、ビキニ姿の女性が長いすで日光浴を楽しんでいます。
私たちは、ロマネスクの教会を見てきたこと、そしてこの旅の最後にサン・マルタン・ド・フノラール教会とセラボンヌ小修道院、フォンティーヌ修道院に行きたいと話しました。
ご主人の顔色が変わりました。そして、続いた言葉です。
どの教会も本当に素晴らしいので、ぜひ訪ねて欲しい。
ここは300年前まではカタルーニャだったのです。僕らの旗はカタルーニャの旗です。
コリウールの海は地中海の真っ青な色をしていました。そして広場にはカタルーニャの赤い四本線の黄色いカタルーニャの旗がたなびいていました。
サン・マルタン・ド・フノラール教会で隈取りした男性のようなマリアの絵に会うのを楽しみにしていました が、時間を間違えて見るのが叶わなかったのは残念でした。
フォンティーヌのタンパンのこけしのようなキリストや、深い山道をくねくね登り、やっとたどり着いたセラボンヌの身廊の中央にあるトリビューンなど、かつてスペインだった地を最後に訪ねたのも良かったと思います。
カルカッソンヌからトゥールーズに至る道には、スペインでは見られなかったひまわりの黄色い畑が続いていました。
18日間の旅から帰国して2ヶ月たち、スペインで過ごした日々は夢の中の出来事のようです。
独立運動の盛んなカタルーニャで目にしたのは、黄色地に赤い四本線のカタルーニャの旗でした。人里はなれた村や教会にも掲げられていて、民族意識の強さを感じました。
異国の神を見つめていた時、不思議に満ちていた心は、現実に戻り薄れてきました。
それにしても、知識不足を強く感じました。聖書、歴史、美術、思想など、もう少し知識があれば、もっと深い旅が出来たのではないかと思います。
少しづつ勉強を重ね、進歩していきたいと願っています。
岩崎 智子