山のロマネスク、里のロマネスク 1 ー岩越和紀ー

今回のロマネスク旅はイベリア半島の北東部バスク地方の中心都市ビルバオを起点に反時計周りに、オビエド→レオン→ブルゴス→ビルバオに戻るというコース。レンタカーの一人旅で、3 月 22 日から 2 週間の日程。総走行距離は約3000km。本来は巡礼路の道順どおりのコースを計画していましたが、出発直前にビルバオからブルゴスへの峠ルートが雪との情報が入り、急きょ逆回りのコースに変更しました。 

3月22日 BILBAO⇒CASTAÑEDA⇒SANTILLANA DEL MAR

ビルバオ空港でレンタカーを借り、日本から持ってきたカーナビ(PND)、ドライブレコーダーを設置し出発。このPNDは目的のロマネスク教会の緯度経度を入れれば、日本語で道案内してくれるという優れもの。

石の要塞のようなCASTAÑEDAのサンタ・クルス教会

最初に目指したのが、Castañeda のサンタ・クルス教会。圧倒的な存在感を放つ石の要塞のような教会。正面から眺めるとファサードの分厚いブシュールにどっしりとした塔が目に入る。鍵は開いていなかった。外回りだけでも、複雑な彫り故に溶けかかっている扉口の柱頭はあるし、持ち送りの彫像たちも次々と現れ、時間を遊んでくれる。後陣に回り込むとこの石の教会はもっと凄みを増す。重量感あふれる見事な積み重なりとバランス。もちろん、後陣の柱頭や持ち送りからも目が離せない。初日からずかずかと、心に入り込まれてしまった。 この教会の歴史は不明なことが多いが、11世紀にはこの場所にあったとされ、 12 世紀にはクリュニー傘下に入ったとされている。 

サンタ・クルス教会はビルバオから西へ約100kmの距離。ビルバオの市街地をかすめるように進むこのコースは人、自転車、クルマの動きが最初はうま く読めず、運転に細心の注意が必要。約20分ほどの神経戦を終                                   

え、高速道路に入る。流れはスムース。海岸線ながら急峻な断崖が迫り、なかなかの迫力。サービスエリアマークがあり、入ると、ここは高速道路外のレストラン、ヨーロッパではよく見かけるパターン。用事を終え高速道路に戻ろうとすると、戻る道がない場合がある。ここもその形で戻るのに大きく迂回させられた。(地図のURL) https://goo.gl/maps/d2X4U                                              

サンタ・クルス教会には帰国間際に行き直したが、係員の話では6月以降でなければ内部の見学はできないとのこと。その時に後陣の持ち送り等を撮ったので少し紹介する。

 

 

サンタ・クルス教会から次の目的地サンティリャーナ・デル・マールに向かう時にLas Presillsという村で見かけた路傍の十字架。資料などなく、いつの時代のものかは分からなかったが、首を落とされたイエス、その下で祈るマリアに、胸迫るものがあった。どこからか、移築されたものか、この道が巡礼路で、巡礼者の道しるべであったのか、想いが膨らむ。

石畳に映える サンティリャーナ・デル・マール教会

 

夕刻、石畳の道を、教会に向かう。コンポステーラへの海側の巡礼路らしく帆立貝のマーキングを見かける。有名観光地でもあり、石造りの村として美しく整備されている。やがて水場の古井戸越しにサンティリャーナ・デル・マール教会が姿を現す。暮れなずむ空に写真で見慣れたファサートが現実の姿を現す。ファサード上に浮かぶ聖女ユリアナと従う聖人たちの配列に目を奪われる。顔を削られ、首を捥がれ、手足をへし折られていても、横一列に並んだ聖人たちが手を携え、何百年も生き抜いてきた姿が見える。一番左の聖人の顔が気になっていた。それは顔を削られたあとを何かで埋めた跡の陰影が目鼻に見えていたようであったが、あたりの暗さとも相まって、夢想を膨らますのには十分な舞台装置であった。ファサードの上に配置されたアーケード列も建物全体の気品と優雅さを際立たせ、後陣に回ると、持ち送りのクリーチャーたちも賑やかで、楽しい時間を過ごせた。よく見ると、後陣から延びる整然とした石畳の道は、巡礼路であった。村にはアルベルゲ(巡礼宿)もあり、巡礼者らしき人々が、三々五々、夕景を楽しんでいた。



サンティリャーナ・デル・マール教会もサンタ・クルスと同じ時に行き直した。こちらは教会が開いていた。やはり、柱頭や回廊に展示されていた持ち送りの彫像は素晴らしく、その造形の巧みさに、驚かされる。

3月24日 SANTILLANA DEL MAR→STO TORIBIO DE LIÉBANA→LEBEÑA→VILLAVICIOSA

 ヒホン近くの古い港町Villaviciosaを目指すが、途中で山道に入り、レベーニャ、リエバナの山岳の教会に寄ることにしていた。このコース、ドライブでなければ味わえない素晴らしいルートだった。スペインでも、フランスでもそうなhttps://goo.gl/maps/Bs9Rj(地図のURL)          のだが、丘のアップダウンやカーブの造り方が自然の地形をそのまま生かしていて、決してクルマの能力に合わせているようには感じない。それをドライバーとしてどう攻めどう守るかを試されているようで、運転が楽しくなる。もちろん全ての道がという訳ではないが。このルートはそうしたルートであった。緑の丘陵地帯越しに、遥かに雪を頂いたピコス・デ・エウロパの山脈を望み、途中にマッターホルンのような山容という見事な景観もプラス要素ではあったが。1時間ほど、快適なドライブを楽しんだあとは、緊張のドライブが待っていた。デバ川が刻んだ岩肌むき出しの断崖沿いの狭い、曲がりくねった峡谷の道を進む。こんなに狭い道なのにこちらのドライバーは道を譲りあうことはない。センターラインをはみ出しながらスピードを緩めることなくすれ違っていく。車幅感覚がミリ単位なのか、こちらが譲るしかない。               

壮麗な大伽藍のサント・トリビオ・デ・リエバナ修道院


                        山の中腹近くに鐘楼が望めた。カーブを曲がるたびに高度を上げ、やがて、壮麗なリエバナの修道院が姿を現す。多くの参詣者を集めるらしく、大型の駐車場が用意されていた。こちらは先ほどから見え隠れしていた鐘楼が気になり、さらに直線路を登る。突き当りに開けた駐車場があり、その奥に大天使ミカエルの小さなお堂があった。眼下にPotesの村が広がる雄大な眺めで、このお堂にはミカエルの木彫が十字架と共に祀られていた。時代は新し目であったが、なかなかにやんちゃな感じのミカエルが微笑ましかった。


修道院は10世紀にここでベアトゥスが『ヨハネの黙示録注解』を表したことで有名である。売店は休憩時間だったが、回廊は開いていた。今回の旅で初めて内部に入れた。回廊はロマネスクではなくなっているが、見るべきものが多い。特に黙示録写本の何ページかのコピーがかけられ、実物は見ていないので、判断はできないが、デザイン、色使い、デッサン力、に驚くほどの力量を感じさせてくれる。また、絵の中に見える文字書体の楽しさ、そのまま現代でもロゴとして使えそうに思え、往時のデザイナーや描き手としての修道士に拍手であった。ガラス入りの額に入れられており、光の反射が激しく、正面から撮れなかったのが本当に残念だった。他に、サンチャゴの象徴である、大きな帆立貝も掲げられていたが、ここでもそのデザインの発想力に驚くばかりであった。


厳しい山里に佇むサンタ・マリア・レベーニャ教会

来た道を戻りつつ、峡谷の途中の脇道を案内通り進むと、サンタ・マリア・レベーニャ教会がある。人里離れ、峻険な山並みが迫る僅かな山里に佇む風情。小雨交じりの天候も相まって、これ以上ないほど山のロマネスクをしていた。この教会は924年リエバナ伯のアルフォンソとその妃によってマリアに奉げる教会として創建されている。正確にはモサラベ様式であるらしいが、ここの内部には見るべきものが多く、特に写真で見る限り『太陽の石版』に魅力を感じていたが、扉は閉ざされていた。石積みの一つ一つが暗く重く、空模様もあり、孤独の空間であった。


雨の聖母教会、Villaviciosaのサンタ・マリア教会

このマリアの顔に魅入られてしまった。ロマネスクより後の時代のもののようだが、しばらく眺めていると、首のないイエスを抱いていることに気づいた、聖母子像であったのだ。それほどの母性を感じる訳ではないが、イエスの悲しみを一身に受け止めたようでもあり、抗いがたい運命を達観したかのようでもある。ロマネスク旅の楽しみの一つに各地のマリアとの出会いがあるが、この旅で心に刻み込まれた最初の出会いとなったマリアであった。この教会堂にはタンパンや扉口を飾る柱頭をはじめ内部の彫刻類にも見るべきものが多くあった。特に人面をモチーフにした柱頭などを多く見かけ、港町故に、人面彫刻の多いアイルランドやブルターニュとの関係を思わずにはいられなかった。ただ、雨がひどくなってきたので、十分に時間をかけて外部を撮れなかったのが心残りとなった。


Villaviciosaも巡礼路の街であった。ベンチ横に帆立貝の印があり、辿る路は分かり易い。地図で見るイメージは、緑多い田園都市的港町だったが、普通の街区の家並だった。どこにも港町の風情はなく、拍子抜け気味だったが、サンタ・マリア教会の存在がこの街の魅力を際立たせていた。

 

3月25日 VILLAVICIOSA→AMADNDI→VALDEDIÓS→OVIED

朝から霧雨、時々強く降るという生憎の天気のなか、アマディ村の教会を目指す。ビラヴィシオサの市街からほど近く、15分程度の走りで到着。この教会のロケーションは登坂の正面に、円蓋つきポーチが望め、白壁と相まってなかなかユニーク。写真で見ていたので、是非行ってみたいと思っていた教会だった。

https://goo.gl/maps/NIX3R

(地図のURL)

円蓋付きポーチ、蠢く柱頭彫刻、アマディの教会

この教会、ポーチ部のひさしが丸い形をしているなんとも珍しい教会だ。そのひさし下を覗くと扉口の柱頭やブシュールの彫像たちが何百年も蠢めいていたように見える。ファインダー越しに見る彼らの目や表情から眼が離せなくなる。探るような、尋ねるような、飢えてでもいるような目である。この複雑な表情にスペインの濃さを感じてしまうのである。後陣にかけての持ち送りや柱頭も凄みのある表情を見せてくれるものが多い。この教会は12世紀にベネディクト派の修道士によって建てられた。

軒下には巡礼者らしい泊り客もいて、驚かされる。この寒さで一晩過ごすのは辛すぎるのではないか。撮影中に彼の咳が酷くなってきていたが、雨に打たれながら笑顔を見せ出かけて行ってしまった。当たり前のことだが、巡礼にもいろいろな人生模様がある。見学者としては黙って見送るしかなかった。


山郷に佇むValdediósのモサラベ、サン・サルバドール教会

小雨と霧状態のなか次の目的地Valdediósへ向かう。途中に緑の峠越えがあり、霧にかすむ風情も悪くはないが、晴れた姿も望みたかった。

山襞に隠れるように建つサン・サルバドール教会は雨に打たれながら魅力的な佇まいを見せてくれた。アストゥリアス朝末期の教会でアルフォンソ3世が893年に建てたと伝えられている。同じ敷地内にロマネスクとしての目的だったサンタ・マリア修道院があるが、モサラベの影響が入ったサン・サルバドールから目が離せなくなってしまった。遠目に、細身の教会と南側のポーチの配置が、アンバランスながら、心地良い。辺りの緑に良く生える1000年を超えた石積みの色といい、可憐ともいえる姿が気に入ってしまった。扉口の上にはアストゥリアスの象徴である『勝利の十字架』が見える。内部は小さいながらも3身廊あり、色鮮やかな壁画が所々に残されているがほとんどが断片化され、何が描かれているのかは自分には分からなかった。後陣の馬蹄形の窓や南側に取り付けられたポーチの柱頭、飾り窓に色濃くイスラムの影響が見られる。


同じ敷地に建つ瀟洒なサンタ・マリア修道院

 到着時には前述のサン・サルバドールの敷地に入る鍵が開いていなかった。案内所の張り紙によれば、11時には開くらしい。約30分ほどの時間だったので、サンタ・マリア修道院の扉口前のポーチ(写真正面のアーチ)で、ブシュールやタンパン、柱頭などを撮影しながら、待つことにした。ここは屋根付きで、雨を受けなくて済むし、彫刻類も充実したものだった。ここでも柱頭に人面が何か所かに見られた。ビラヴィシオサでアイルランドとのことに触れたが、6~7世紀にかけてアイルランドで活躍するスーパー修道女フィデルマを主人公にした小説に戦場で戦勝首を鞍に括り付け武勇を誇り、それを教会に奉げたとの表現があり、そうしたこととの関連もあるのかと考えてしまう。

 やがて、案内人が登場して私一人のために教会と修道院をガイドしてくれるという。ここの見学の決まりであるらしいが、スペイン語は全く理解できないので、一人で回った方が気が楽なのだが、と思いつつ、後に続く。サン・サルバドールとは比べ物にならない大きさで、天井の高さに圧倒される。中の礼拝堂は金色に輝くゴシック以降のものながら、天井を支えるボールトや柱頭に、ロマネスクを感じ、回廊は三層式で二層までがロマネスクに見えた。リズミカルにならぶアーチ列が心地良かった。

サンタ・マリア修道院の奥深くの聖具室に掲げられた、磔刑のキリスト、聖母マリアとサンファン(ヨハネ)。サンファンは、元は緑と黒のローブを着て、赤いマントに覆われ、多色塗装で残っていた福音書を持っていたとの説明があり、サン・サルバドール教会の後陣に掲げられていたものであるらしい。3体の静謐な命のありように息を呑む。

この後も雨は降り止まず。オビエドに向かいました。オビエド以降は次回に。

 

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