ピレネーをめぐるロマネスクー<1> バスクとナバラ編             岩越和紀

 昨年(2015年)の夏、バスクのビルバオからカタルーニャのボイ谷まで、さらなるロマネスクを訪ねるために、ピレネーの山際を2週間駆け巡った。勝手な思い込みながら、この地域を知らずに、スペイン・ロマネスクの本質に触れたとはいえないような気がしていたのである。 結果的に60か所近くのロマネスク教会を訪ねたが、その多様な宗教表現には興味が募るばかりで、次にはどのようなロマネスクが現れるのか、ワクワク、ドキドキのドライブだった。

  全3回の予定で、今回はバスクのビトリア市と『巡礼路フランス人の道』周辺である。

亡くなった巡礼者の礼拝堂 エウナテのサンタ・マリア聖堂前で
亡くなった巡礼者の礼拝堂 エウナテのサンタ・マリア聖堂前で

https://drive.google.com/open?id=1MuxrOB17uaETEiLDpJAMANiKlAs&usp=sharingをクリックか検索欄でコピペしてください。地図内の教会名が分かります。

Roncesvalles(ロンセスバリェス)、ここからスペイン側の巡礼が始まる

 フランスからサンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路は主に4本のルートとなっているが、そのうちの3本がフランス側のサン・ジャン・ピエド・ポーという村の近くで合流し、ピレネーを越え、スペインに入る。その最初の村がロンセスバリェスである。人口30~40人といわれる村ながら、大規模なサンタ・マリア・デ・ロンセスバリェス修道院を中心にした宗教施設があり、巡礼者のためのアルベルゲや巡礼用のクレデンシャルを発行してくれる施設などもある。スペイン人の多くがここから巡礼を始めるが、ここからの道をCamino Francés(フランス人の道)と呼ぶ。したがってこの道路標識である。巡礼を始める標としては味気ない標識ながら、790kmにどのような人生を託すのか、重い旅路の標識でもある。

一目で分かるロンセスバリェスの案内板
一目で分かるロンセスバリェスの案内板

 写真最上段左は修道院付属教会の聖母マリア像。14世紀のものでロマネスクではないが、巡礼者の崇敬を集め、出発のミサが行われる。右は付属教会の礼拝所のアーチ型天井。原型はロマネスクといわれているが、リブの装飾が美しかった。中段の岩の写真はロランがこの地の戦いに敗れ、命を落とす前に愛剣の刃を折ろとして切りつけたとされる岩。一番下の段の左写真はサンチャゴ教会(左)と聖霊教会。どちらも12世紀の創建といわれ、内部は修道院から続く見学ツアーでなければ入れない。

 下段右の写真はロンセスバリェスの隣町ブルゲーテ。白壁に黄枠付きの窓が特徴的な美しい家並みで写真を撮っていたらこの宿に。ヘミングウェイがマス釣りのために滞在していたとあった。

Zubiri(スビリ)

 ロンセスバリェスから約20km下るとスビリという街がある。最初の宿場町で学校を改造したアルベルゲなどがあり、町の名前(バスク語で橋の村)の由来となったゴシック様式の石造の橋などがある。狂犬病を治す奇跡の橋とも信じられているが、その由縁は橋の中央の台座に聖人の聖遺物が埋められているからとの説がある。

カミーノと牛追いとアンシアーノの存在感 Pamplona(パンプローナ)

 牛追いの町パンプローナである。旧市街の迷路のような石畳の街路を牛に追われながら走るあの祭りである。まずこんなに細い道を走るのかと驚く。牛に踏まれ大けがをする人がでるのも納得である。その道沿いにカテドラルがある。ロマネスクはほとんど残されていないが、16世紀のものだろうか祭壇画が気になる。主題はマリアの戴冠であるが、どこかフランドルを思わせるマリアの表情が楚々としてやさし気で、あまりスペインらしい濃さを感じない。スペインがフランドルを統治していたことを思い出させる祭壇画であった。

 夕刻、街の中心の広場には多くの人の姿があったが、ここではアンシアーノ(お年寄り)が幅をきかせていた。こうした風景はもう我が国ではほとんど見られなくなってしまったが、夕食までの一時、名残惜し気に語る姿に、広場のあるこの街の豊かさを感じる。

今回の区間、山道はパンプローナ、ロンセスバリェス間で、いやになるほどハンドルを回す峠道が続き、カーブも深いものと浅いもののバリエーションが豊富で、かなり疲れる。特に深いカーブ、対向車が大型トラックの場合、当然のようにセンターラインを大幅にはみ出してくるので、譲る気持ちが大切。このエリア、全般的には平地が多く、優しい走りだったが、特に朝は早めに出発を。道も空いているし、写真のような清々しい光景に随所で出会える。

巡礼路が合流するPuente la Reina(プエンテ・ラ・レイナ)の磔刑教会

 ここも巡礼者の宿場町である。ピレネーからの二つの巡礼路フランス人の道とCamino Aragonés(アラゴンルート)がここで交わり一本の道となる。巡礼者の像の足下にもそのように書かれている。巡礼者はここで、新たな気持ちになれるということであろうか。

 村を流れるアルガ川に架かるアーチ橋(上写真)が人気だ。11世紀の創建といわれ、当時の6つのアーチをそのままに残しているロマネスクの橋である。王妃の橋とよばれているが、当時の王妃ドニャ・マヨールが巡礼者の安全を祈願して架けられたと伝えられている。

 村の入口近くに、磔刑教会というロマネスクを残す教会がある。重厚な造りの扉口には、柱頭や付け柱に凝った意匠が見られ、彫刻としての質の高さが窺える。入れば、壮絶な死を表すようなキリストのV字の磔刑像がまず目に入る。空気感の違いに息をのむが、傍らの聖母子像の母性に心温まる。

Eunate/ Iglesia de Santa María de Eunate エウナテのサンタ・マリア聖堂

 エウナテの聖墳墓教会は巡礼中に亡くなった人々を葬るための教会。巡礼の旅の厳しさが伝わる。外側をアーチに支えられた石塀に囲まれ、中の建物は八角形である。ただ、正確な八角ではなく、天井を見上げるといくらか歪になっているのが分かる。中に聖母子像があった。目鼻のはっきりした顔だちで、このあたりのナバラの女性の顔なのだろうか。柱頭にはユーモラスな顔をした天使が飾られ、深刻になりがちな内部を少しでも明るくするためなのだろうか。外側から眺める屋根にも持ち送りがあり、よく見れば、これも楽し気な妖怪や人面が配されていた。

 午前中2時間、夕刻2時間の開館のせいか、見物の団体さんが引きもきらず、少人数の巡礼者が憩える空間でなくなっていることに、少し違和感はあったが、人が引き、堂内が静寂に包まれた瞬間、そうした思いが杞憂であったことに気付かされた。

 

Estella/Iglesia De San Pedro de la Rúa エステーリャ ペテロの教会

 エステーリャは北のトレドと称されている街である。いくつもの教会があるが、ロマネスク的にはペテロとミカエルの教会が中心となる。

 ペテロの教会は国道脇の丘の中腹にある。12世紀の創建、この街で最古の教会といわれる。きついこの階段(上写真)を上ると下に並べた写真のような彫刻を施された扉口が迎えてくれる。人魚やケンタウルスといった定番の彫刻が並び、彫りの質の高さを窺わせるが、教会内への入口はこの扉口ではなく、教会の上部を走る国道側から入る(別にエレベータールートあり)。残念ながら開いている時間ではなかったが、回廊は是非にも見てみたいものの一つであった。

Estella/Parroquia San Miguel Arcangel エステーリャ ミカエルの教会

 ミカエルの教会はペテロの教会とエガ川を挟んだ対岸の丘にある。巡礼者と行き交う旧市街を通り、橋を渡り、急峻な上りの続く街路を進むと、ミカエルの教会にたどり着く。ここでは西の扉口の豪華さに目をみはる。リポイのサンタ・マリア修道院の石の聖書はあまりにも有名だが、最近は溶け方がひどく、判別が難しくなっているが、ここの扉口を飾る彫刻はそれほどの風化は無く、生き生きとして、快活である。物語は旧約や新約の代表的な題材が語られているようだが、なんといっても一人一人の主人公たちから生命感が溢れ出てくるようで、射すくめられてしまい、しばらく、その場を動けなくなってしまった。

Torres del Rio/Iglesia del Santo Sepulcro 救護所としてのトレス・デル・リオ

聖墳墓教会は市街地奥のものではなく、写真中央少し右の建物
聖墳墓教会は市街地奥のものではなく、写真中央少し右の建物

 エステーリャから巡礼路をさらに西に向け約30km進むとトレス・デル・リオという村に着く。ここも巡礼者用の宿などがある村だが、中心に聖墳墓教会がある。12世紀の創建とされ、狭い急傾斜地に建てられていて、前述のエウナテと同じ八角形の集中式聖堂である。こちらは巡礼者用の救護所であり、エウナテは巡礼者の墓標のようであった。八角形にどのような意味があるのか。宗教の世界では数字そのものが意味を持つことが多いが、キリスト教の「8」は、天地創造7日間に復活の日を加えて、「復活」を意味するとか、「新しい始まりを表す」などといわれている。まさに両聖堂ともに巡礼者にとっての復活を意味する聖堂ということなのであろうか。

 この時期は、休憩用に開放されているはずなのだが、扉は固く閉ざされていた。扉口や窓を飾る装飾的な彫刻類には強い主張は見られないが、上品な佇まいで、なかなかよかった。

Marquinez/Iglesia de San Juan マルキネス  教会が売りに出されていた?

 ビトリア市周辺の4つのロマネスクも訪ねた。最初にマルキネスという街に向かった。ここでは家並み越しの教会がそれらしい雰囲気に見えたが、中身は空っぽで建物自体が売りに出されていた。頭の中は?だらけであった。ただ、教会前の水汲み場(左写真)の造りにはなにか歴史を感じさせるものがあり、家々の飾り方にも統一感があり、フランスであれば、美しい村の一つに数えられたと思われ、訪れる価値はあった。後に調べて分かったのだが、これが全くの勘違いで、この村から約500m東に目指すロマネスクがあったことに気づいたのである。一人旅、思い込みが重なった大失敗であった。

 ロマネスクのドライブ時には事前に教会の緯度経度を調べ、その数字をカーナビに入れて、その場所にピッタリ行けるようにしているが、ここでは、ミシュランの地図での確認時に村内にある教会と思い込んでそこの緯度経度を調べてしまったということであった。

Ermita de Nuestra Señora del Granado

エルミタ・デ・ヌエストラ・セニョーラ・デル・グラナド聖堂

 聖堂と呼ぶにはあまりにも質素、遠望からは作業小屋程度にしか見えない。村はずれの原野の高台にポツンと建てられていた。13世紀の創建とある。なぜこのような場所にと思うのだが、アルバイナの村にとって、この場所が神聖な場所であったのだろうか。近づくと、丁寧な造りの扉口に驚かされる。確かな技術を持った彫り手の仕事を思わせ、。柱頭などのアーカンサスの表現も洗練されたもので、まさに田園のロマネスクなのである。そして、全体像からは不釣り合いなほどの重厚なブシュール、謎は深まるばかりだった。案内板の説明によれば、中世以前には、この地はグラナドと呼ばれ、交易を中心にかなり栄えた土地であったらしいが、コレラの流行により、地域全体が消滅してしまったとある。ブルゴス地区のロマネスクを紹介するマップにも周辺に多くが点在していることが記されていたが、現在の姿から想像するのはなかなかに難しい。掲載されていたマリア像の写真は往時のものではないようだが、慈愛に満ちた表情に見え、是非にも対面したかった像だった。それにしてもこの地の人々のあつい親切心には驚く、アルバイナの村で道に迷っていると、身振り手振りで道を教えてくれたおばさんたち、何事かとよってくるおじさんたち、最初は一人だったのに、あっという間に10人近くになり、英語の話せる若者を連れてきて道を教えてくれたのである。感謝、感謝であった。

San Vicentejo/Ermita de la Purísima Concepción アダムとエバ浮遊

 直訳すれば無原罪のお宿り教会となるが、堂々たる後陣であった。国道からの眺めは普通の方形の大きな倉庫程度にしか見えないが、後陣に回り込むと、この造り込みようである。窓と付け柱に凝った意匠がみられ、屋根の瓦とのバランスも完璧だった。そしてその外壁にはアダムとエバが横たわる形で浮かび、柱では起立状態のものも見られる。立つ寝るにあまり意味はなく、再利用時にたまたま、この形になったとの説ながら、見る側はそこになにか意味を感じてしまうのである。その表情はあくまでも素朴で、ロマネスク彫刻の原型のようでもあり、頬のくっ付きに愛が溢れる。内部も凝った意匠が続き、窓を飾る柱頭などにも見るべきものが多い。大きさと表現力、意匠合わせて、三ツ星クラスのロマネスクだった。。

Estibaliz/Iglesia de Nuestra Señora エスティバリスの豊穣

 丘の上にある巨大な聖母のための修道院教会である。上に二つの扉口を掲載したが、上段が南側、下段が西側の扉口である。左の写真が南の扉口の意匠だが、付け柱には綿密に計算されたような繊細なイスラム的な模様が付けられ、少し尖頭型の飾りアーチにもそれに合わせたような模様が展開する。単純ながら心地よさの伝わる今日的なデザインセンスでもある。一方、西の扉口は修復されたものだが、重厚なブシュールの造りにこの教会の豊かさを感じる。内部の造りも整然としたものだった。内陣の中空に浮かぶような聖母子像は今どきの劇場型のレイアウトながら、マリア、イエス共に高貴さに溢れ、ちょっと変わった十字架上のイエスも現代的なデザインセンスを感じる。また、傍らに置かれた聖水盤もロマネスクのものであろうか、アーケド列の細かな彫りに感心しきりであった。

Armentia (Vitoria)/Basilica de San Prudencio 多彩な持ち送り彫刻群

 ビトリアの郊外アルメンティア公園内にこの瀟洒な教会はある。まだ開いているはずの時間に着いたが、扉は閉ざされていた。周辺を回ると実にきれいに整備されていて、居心地が良い。上写真は後陣だが、庇の細かな細工が櫛の歯状に外壁に影を写し、細かな技術の確かさを窺わせる。外観では持ち送りの多彩さに驚かされる。多くの像を撮ってきたが、一つ一つの個性が際立ち、付き合い方が分からず、宗教的には傍観者である身は途方に暮れる。これまでにも多くのこうした妖怪や人物像に芸術面のみで対峙してきたが、ここのものは集団をなし、うごめき、次々と姿を現し、こちらの魂を掴んで放さない。

 

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